大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大阪地方裁判所 平成3年(行ウ)32号 判決 1995年12月20日

大阪府堺市高倉台三丁一八番二号

原告

村田政勇

右訴訟代理人弁護士

大槻龍馬

仁藤一

真鍋能久

西尾剛

大阪府堺市南瓦町二-二〇

被告

堺税務署長 高橋巌

右指定代理人

本多重夫

山本進弌

松田光弘

主文

一  被告が原告に対して昭和五二年一〇月五日付けでなした、原告の昭和五〇年分の所得税についての更正(昭和五五年三月一二日付けでなした再更正により一部取り消された後のもの。)及び重加算税の賦課決定のうち、総所得金額が一億〇四八八万三四五円を超える部分(ただし、裁決により一部取り消された後のもの。)を取り消す。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを二〇分して、その一を被告の負担とし、その余を原告の負担とする。

事実及び理由

第一原告の請求

一  被告が原告に対して昭和五二年一〇月五日付けでなした、原告の昭和四八年分及び昭和五〇年分の所得税についての各更正(昭和五〇年分については、昭和五五年三月一二日付けでなした再更正により一部取り消された後のもの。)、並びに、同日付けでなした、原告の昭和四九年分の所得税についての再更正(昭和五二年一〇月五日付けでなした同年分の更正を含む。)のうち、総所得金額が、昭和四八年分については九五八万八九一五円、昭和四九年分については六二六万〇六一六円、昭和五〇年分については一三八三万九二三二円を超える部分(ただし、昭和四八年分及び昭和五〇年分については、裁決により一部取り消された後のもの。)を取り消す。

二  被告が原告に対して昭和五二年一〇月五日付けでなした、原告の昭和四八年分、昭和四九年分及び昭和五〇年分(以下右三年分を「本件各年分」という。)の所得税についての過少申告加算税及び重加算税の各賦課決定、並びに、昭和五五年三月一二日付けでなした、原告の昭和四九年分の所得税についての重加算税の賦課決定(ただし、昭和四八年分及び昭和五〇年分については、裁決により一部取り消された後のもの。)を取り消す。

第二事案の概要

一  当事者間に争いがない前提事実

1  原告は、南堺病院の院長として、同病院を経営する医師である。

2  原告は、本件各年分の所得税について、それぞれの法定申告期限内に、別表1の確定申告欄記載のとおり確定申告を行った。また、原告は、昭和五〇年七月二一日、昭和四八年分の所得税について、同表の修正申告欄記載のとおり修正申告を行った。

3  大阪国税局査察部(以下「査察部」という。)は、昭和五一年九月、原告の本件各年分の所得税について、所得税法違反(脱税)の嫌疑により強制調査に着手し、右調査結果に基づき告発がなされて、原告は、昭和五四年三月一三日、大阪地方裁判所に起訴され、昭和五九年二月二九日、同裁判所で、懲役一年及び罰金二一〇〇万円(懲役刑については三年間執行猶予)に処する旨の有罪判決を受けた。原告は、これに対して控訴したところ、昭和六三年二月四日、大阪高等裁判所で、原判決を破棄し懲役一〇月及び罰金一八〇〇万円(懲役刑については三年間執行猶予)に処する旨の有罪判決を受けた。原告はこれに対して更に上告したが、平成元年一一月二七日上告棄却の判決がなされて、右有罪判決は確定した。

4  被告は、査察部の調査結果に基づき、昭和五二年一〇月五日付けで、本件各年分の所得税について、別表1の更正等欄記載のとおり更正並びに過少申告加算税及び重加算税の各賦課決定(以下「更正等」という。)をなした。

原告は、昭和五二年一一月九日、被告に対し、右更正等について異議申立てをしたが、三か月を経過してもこれに対する決定がなされなかったので、昭和五三年五月二四日、国税不服審判所長に対して審査請求を行った。

5  被告は、昭和五五年三月一二日付けで、昭和四九年分の所得税について、別表1の再更正等欄記載のとおり再更正及び重加算税の賦課決定(以下「再更正等」という。)をなした(昭和五〇年分の所得税については、同日付けで同欄記載のとおり減額再更正をなした。)。そのため、前記審査請求の審理においては、右再更正等の適否についても併せて審査がなされ、国税不服審判所長は、平成二年一二月二六日付けで、本件各年分の所得税等について、同表の裁決欄記載のとおり、昭和四八年分及び昭和五〇年分については一部取消し、昭和四九年分については請求棄却の裁決をなした。

6  被告は、原告の本件各年分の総所得金額及び納付すべき税額につき、事業所得金額については資産増減法に基づく推計により、譲渡所得金額、不動産所得金額及び雑所得金額については実額により算出して、別表1の裁決欄記載のとおり主張している。被告が主張する右各所得金額の計算の内訳は別表2ないし4記載のとおりで、事業所得金額の算定の根拠となった各資産の内訳は別表5ないし24記載のとおりである。

二  争点及びこれについての当事者の主張

1  昭和四九年末の大末建設株式会社に対する仮払金額について

(一) 原告の主張

(1) 原告は、南堺病院の建築工事を請け負った大末建設株式会社(以下「大末建設」という。)に対して、請負代金の支払のため、支払期日昭和四九年一二月三一日、額面五〇〇〇万円の約束手形(以下「本件約束手形」という。)を交付していた。原告は、本件約束手形については、主力銀行である株式会社大和銀行(堺支店、以下同様)からの借入資金によって決済する予定であったが、同銀行からは決済資金として二〇〇〇万円しか調達できず、残余の三〇〇〇万円については、大末建設に依頼して手形の支払期日の先送り(ジャンプ)をしてもらうように同銀行から要請された。しかし、大末建設は手形のジャンプに応じてくれなかったので、原告は、他の金融機関からの借入金や自己資金によって三〇〇〇万円を調達し、本件約束手形を決済することにした。ところが、主力銀行である大和銀行に対しては、他から資金調達を行ったことを知られては不都合であったので、あくまで大末建設に手形のジャンプに応じてもらったように見せかける必要があった。

(2) そこで、原告は、<1>大末建設から昭和四九年一二月三〇日に三〇〇〇万円を原告の大和銀行の当座預金口座に振り込んでもらい、<2>これと同銀行から調達した資金(同銀行の保証による住友生命保険相互会社からの借入金)二〇〇〇万円とで、同月三一日本件約束手形の決済をし、<3>右三〇〇〇万円が本件約束手形のジャンプのためのものであるように見せかけるため、同月三〇日大末建設に、昭和五〇年一月から同年七月まで毎月末日を支払期日とし、金額を四〇〇万円(一月ないし五月分)ないし五〇〇万円(六、七月分)とする約束手形七通を振り出し交付して、これらをその期日に決済し、<4>他方、昭和四九年一二月一四日堺市信用金庫登美丘支店(現在の泉陽信用金庫登美丘支店、以下「堺市信用金庫」という。)から二〇〇〇万円を借り入れ、これにより同月三〇日同信用金庫から二〇〇〇万円の保証小切手(以下「本件保証小切手」という。)の振出交付を受け、同月三一日頃これと現金一〇〇〇万円(原告は、緊急不測の出費に備えて常に一〇〇〇万円から二〇〇〇万円程度の現金を手元に置いていた。)を大末建設に持参して支払い、<5>大末建設から、右<3>の原告が自ら決済した計三〇〇〇万円の約束手形に対応するものとして、昭和五〇年一月から同年五月まで毎月末日小切手により各四〇〇万円の支払を受け、また、同年六月及び同年七月末日現金により各五〇〇万円の支払を受けた。

(3) 原告が前記(2)<4>記載のとおり大末建設に二〇〇〇万円の本件保証小切手の他現金一〇〇〇万円をも持参して支払い、従って、前記(2)<3>の各額面四〇〇万円の約束手形五通計二〇〇〇万円のみならず各額面五〇〇万円の約束手形二通計一〇〇〇万円についても手形のジャンプが見せかけであることは、従前大末建設との間で手形のジャンプがなされた場合、必ず日歩三銭五厘の割合による延べ払い金利が支払われていたのに、右三〇〇〇万円についてはそのような金利の授受が一切なされていないこと、原告が自己の資金繰り予定等に関してまとめて記帳していた手形受払帳(甲五九号証。以下「本件手形受払帳」という。)にも、昭和五〇年七月までの大末建設からの合計三〇〇〇万円の入金についての記帳がなされていること等からして明らかである。

(4) 以上の経過からすると、昭和四九年一二月末日時点における大末建設に対する前記(2)<3>の三〇〇〇万円の支払手形及び同社に対する二〇〇〇万円の仮払金は、いずれも実質的には原告において支払義務を負わないもので、存在しないというべきであるが、右三〇〇〇万円の支払手形を負債として計上する以上、資産としては、二〇〇〇万円の本件保証小切手交付分のみならず、一〇〇〇万円の現金支払分をも仮払金として計上すべきである。従って、二〇〇〇万円のみを仮払金として計上する被告の取扱は不当である。

(二) 被告の主張

原告が手形のジャンプを仮装し実際には大末建設に支払って実際に決済を済ませていたのは、本件保証小切手分二〇〇〇万円のみであって、原告主張の現金一〇〇〇万円の支払はなされてはおらず、この分については原告が決済できなかったので、真実手形のジャンプがなされたのである。従って、昭和四九年一二月末日時点では、大末建設に対する三〇〇〇万円の支払手形を負債として計上し、他方で、資産としては同社に対する二〇〇〇万円の仮払金のみを計上すべきである。このことは、以下の事情から明らかである。

(1) 原告は、常に一〇〇〇万円から二〇〇〇万円の現金を手元に置いていて、そこから一〇〇〇万円の現金を大末建設に持参したと主張し、その資金出所については、診療収入の中から経理担当者にわからないようにストックしていたと供述するが、診療収入から一〇〇〇万円もの現金を経理担当者にわからないようにストックするというのは不可能である。また、原告の大末建設に対する現金による一〇〇〇万円の支払に関しては、原告の供述以外にこれを裏付ける領収書等の客観的証拠はない。

(2) 原告は、大末建設から右一〇〇〇万円につき、昭和五〇年六月及び同年七月末日現金で各五〇〇万円の返還を受けたと主張するが、これに関しても、原告の供述以外にこれを裏付ける領収書等の客観的証拠は大末建設に存在しない。また、大末建設の帳簿にも、本件保証小切手支払分については預り金として計上されているのに、残余の一〇〇〇万円については記載がなされていない。

(3) 原告は、手形のジャンプがなされたのであれば、その分についての延べ払い金利が支払われているはずであると主張する。しかし、原告と大末建設との従前からの取引経過を見ると、追加工事分についてではあるが、建築工事代金を手形で支払った場合、振出日から支払期日までの間の延べ払い金利を徴していないものもある(振出日昭和四九年二月二八日、支払期日同年七月三一日で金額二三五万円の約束手形、振出日同年五月三〇日、支払期日同年九月三〇日で金額三〇万円の約束手形等)。だから結局、原告と大末建設との間では、手形がジャンプされたからといって必ずしも常に延べ払い金利が徴されたわけではなく、両者の交渉によって金利が支払われずに済まされたこともあるのである。従って、前記の一〇〇〇万円についても、両者間の諸々の思惑から延べ払い金利の支払がなされなかった可能性が十分あるのであり、これについての延べ払い金利の支払がないことは、手形のジャンプがなされたことを否定する根拠とはならない。

(4) 本件手形受払帳について見ても、これは専ら原告の振り出した支払手形について記帳されたものであるし、昭和五〇年一月、二月、六月、七月の各箇所に、摘要を大末建設として原告が同社に対して振り出した四〇〇万円ないし五〇〇万円の各支払手形と同じ金額の記帳が二重になされる等しているが、これらの記載の趣旨も判然とせず極めて曖昧である。従って、右の記載は、大末建設からの入金を記したものではなく、同社に対する支払手形がたまたま二重に記帳されたに過ぎないと考えられ、本件手形受払帳の記載が原告の主張を裏付けるものであるともいえない。

2  岡本弘子に対する事業主貸について

(一) 原告の主張

株式会社泉州銀行白鷺支店の原告名義の普通預金口座(以下「本件泉州銀行普通預金口座」という。)から昭和四九年七月一七日出金された一〇〇万円について、被告は、原告の岡本弘子に対する事業主貸として、同年末の資産に計上している。しかし、このようにまとまった金額を岡本弘子に生活費等として渡すことはなく、これは原告の事業資金に当てられたものである。従って、これは、岡本弘子に対する事業主貸として同年末以降の資産に計上されるべきものではない。

(二) 被告の主張

本件泉州銀行普通預金口座は、岡本弘子(同女は、当時原告と内縁関係にあった女性で、後日原告と結婚して村田弘子となっている。)のために開設され、右口座の預金は専ら同女の生活費として使われていたのである。従って、右口座から昭和四九年七月一七日出金された一〇〇万円も、同女に対する事業主貸として資産に計上されるべきである。

3  加藤俊雄に対する事業主貸について

(一) 原告の主張

被告は、別表25事業主貸(加藤俊雄関係)一ないし三(以下「別表25の一ないし三」という。)記載の加藤俊雄に支払われた金員(以下「加藤経費」という。)を、原告の同人に対する事業主貸として本件各年分の資産に計上している。しかし、これらは、次のとおりいずれも資産に計上されるべきものではない。

(1) 別表25の一番号7は、原告が加藤俊雄に貸し付けたがその後返済されなかったものであるから、これを資産に計上されるいわれはない。

(2) 別表25の一の番号12、13は、原告が加藤俊雄に手形割引を依頼して手形を交付し、割引金として、番号12については九一万円、番号13については八九万円をそれぞれ取得したものである。

(3) 別表25の二の番号14、15は、南堺病院の会計課長として経理を担当していた加藤俊雄の兄の加藤幸雄に対する賞与の上積み分として支払われたものである。

(4) 別表25の三の番号7の二〇〇万円のうち一〇〇万円は、3後日加藤俊雄から原告に返還されているから、その分は事業主貸にはならない。

(5) その余は、いずれも、別表25の一ないし三の備考欄に記載したとおりのやりとりのもとに、加藤俊雄が南堺病院の医事課職員として税務の申告、税務当局との交渉、税務調査の立会い等をしていたことに対する経費、報酬及び謝礼として支払われたものであるから、すべて必要経費であって、本件各年分の資産に計上されるべきものではない。

(二) 被告の主張

原告の主張する(1)ないし(5)の事実はいずれも否認する。原告は、本件各年分を通じて、加藤俊雄に対して一か月一二万円ないし一五万円の給与を支払っていたのであり、同人がこれとは別に別表25記載のような多額の報酬を受け取るべき病院の事務を行っていたとは到底認められない。また、加藤俊雄が加藤経費のうちから病院の経費といえるような使途に充てるための支出をしたとも認められないから、加藤経費は、病院の事業活動と直接の関連をもつ事業の遂行上必要な経費とはいえない。

4  村田梅子からの借入金について

(一) 原告の主張

原告は、堺市信用金庫から求められていた歩積預金にするため、昭和四九年三月下旬ないし四月上旬頃、当時の妻の村田梅子から五〇〇万円を借り入れて、その返済をしていなかった。従って、昭和四九年末以降の負債勘定には、右借入金が負債として計上されるべきである。

(二) 被告の主張

原告の主張は、原告の供述以外にこれを裏付ける客観的な証拠がなく、到底認められるべきものではない。

第三争点に対する判断

一  争点1(昭和四九年末の大末建設に対する仮払金額)について

1  甲四二、四四、四五、五九号証、九九号証の一ないし三、一〇〇号証の一ないし三、一〇七号証、乙五、九号証、証人寺岸庸光の証言及び原告本人尋問の結果によれば、以下の事実が認められる。

(一) 原告は、南堺病院の建築工事を請け負った大末建設に対して、請負代金の支払のため、支払期日昭和四九年一二月三一日、額面五〇〇〇万円の本件約束手形を交付していた。原告は、本件約束手形については、主力銀行である大和銀行からの借入資金によって決済する予定であったが、同銀行からは決済資金として二〇〇〇万円しか調達できず、残余の三〇〇〇万円については大末建設に依頼して手形の支払期日の先送り(ジャンプ)をしてもらうように要請された。しかし、大末建設は容易には手形のジャンプに応じてくれなかったので、原告は、他の金融機関からの借入によって資金調達をする等して、本件約束手形を決済することとした。ところが、大和銀行に対しては、病院建設資金の大部分を融資してもらっていた主力銀行であった手前もあり、他から資金調達を行ったことを知られるのは好ましくなかったので、あくまで大末建設にジャンプをしてもらった形を装うこととした。

(二) そこで、原告は、<1>大末建設から昭和四九年一二月三〇日に三〇〇〇万円を原告の大和銀行の当座預金口座に振り込んでもらい、<2>同月三一日、右三〇〇〇万円と同銀行から調達した資金(同銀行の保証による住友生命保険からの原告の借入金)二〇〇〇万円とで本件約束手形の決済をし、<3>右三〇〇〇万円の振込が本件約束手形のジャンプのためのものであるように見せかせるため、その振込日に大末建設に、昭和五〇年一月から同年七月まで毎月末日を支払期日とし、金額を四〇〇万円(一月ないし五月分)ないし五〇〇万円(六、七月分)とする約束手形七通を振り出し交付し、<4>他方、昭和四九年一二月一四日堺市信用金庫から二〇〇〇万円を借り入れて、これを資金として同月三〇日同信用金庫から二〇〇〇万円の本件保証小切手の振出交付を受け、同月三一日頃これを大末建設に持参して支払い、<5>前記の七通の約束手形をその支払期日に決済する一方、大末建設からは、右約束手形の決済に対応するものとして、昭和五〇年一月から同年五月まで毎月末日頃小切手により各四〇〇万円の支払を受けた。

2  現金一〇〇〇万円の支払の有無

(一) 原告は、昭和四九年一二月三一日頃、本件保証小切手の他現金一〇〇〇万円をも併せて大末建設に持参して支払い、右一〇〇〇万円に対応するものとして、昭和五〇年六月及び同年七月末日に同社から現金で各五〇〇万円の支払を受けた旨主張する。

(二) 甲四四、四五号証、乙九、一四、一五号証及び原告本人尋問の結果によれば、原告は、大末建設に南堺病院の建築工事を、値増金や追加工事代金も含めて総額三億円余りで請け負わせて、昭和四八年一二月末に引渡を受けたが、工事代金のうち一億三九六〇万円については、支払期日を引渡後の同年五月末日から昭和五〇年一二月末日までとする五通の約束手形(本件約束手形はこのうちの一通である。)で支払い、右約束手形による支払分については、引渡の翌日から支払期日まで日歩二銭五厘ないし三銭位の割合による延べ払い金利をやはり約束手形で支払うことを余儀なくされたこと、更に、右約束手形の一部その他の工事代金支払のため振り出された約束手形の支払期日をジャンプしてもらう際には、常にこれに伴う延べ払い金利を徴されていて、少なくとも一〇〇〇万円以上の工事代金の支払期日を先送りしてもらうのに延べ払い金利を徴求されなかったような例は見受けられないこと、然るに、本件約束手形のうち大末建設からの振込金で決済された三〇〇〇万円の支払分に関しては、延べ払い金利の支払がなされた形跡は見られないこと、以上の事実が認められる。

(三) 甲五九号証及び原告本人尋問の結果によれば、原告が主として支払手形の支払予定に関してまとめて記帳していた本件手形受払帳(昭和四九年三月分ないし昭和五一年三月分である。甲五九号証。)の昭和五〇年一月の箇所には、「大末建設<1>四〇〇〇〇〇〇」の他更に「大末(信金) 四〇〇〇〇〇〇」との記載がなされ、その右の備考欄には、「大末一月四〇〇~五月二〇〇〇万信金に 六月五〇〇~七月一〇〇〇万大末の残」と記載され、同年二月の箇所には、「大末建設<2> 四〇〇〇〇〇〇」の他更に「大末四〇〇〇〇〇〇」との記載がなされ、同年三月ないし同年五月の箇所には、それぞれ「大末建設<3> 四〇〇〇〇〇〇」、「大末建設<4> 四〇〇〇〇〇〇」、「大末建設<5> 四〇〇〇〇〇〇」の記載があるのみであるが、同年六月の箇所には、「大末建設<6> 五〇〇〇〇〇〇」の他更に「大末 五〇〇〇〇〇〇」との記載がなされ、同年七月の箇所には、「大末建設(最終回) 五〇〇〇〇〇〇」の他更に「大末 五〇〇〇〇〇〇」との記載がなされていること、本件手形受払帳には、他に同一の相手方に対する同じ手形の金額と思われるものが二重に記帳されている例は見当たらないことが認められる。

(四) 右(二)の本件約束手形のうち大末建設からの振込金で決済された三〇〇〇万円の支払に関して延べ払い金利が支払われた形跡がないことは、本件保証小切手で支払われた二〇〇〇万円分以外の一〇〇〇万円分についても手形のジャンプが見せかけのもので、実際には原告から大末建設にその分の支払がなされていたことを推測させる事情であるし、右(三)の本件手形受払帳の記載も、大末建設から昭和五〇年六月及び同年七月にそれぞれ五〇〇万円の入金が予定されていたことを推認させるものである(殊に、その一月の箇所の「大末(信金) 四〇〇〇〇〇〇 大末一月四〇〇~五月二〇〇〇万信金に 六月五〇〇~七月一〇〇〇万大末の残」との記載は、堺市信用金庫からの借入金の返済資金等に充てるつもりの大末建設からの入金予定について記載したものと見るのが自然であり、そうすると、右記載は、大末建設から昭和五〇年六月及び同年七月にそれぞれ五〇〇万円の入金が予定されていたことを示していることになる。もっとも、このことを前提とすると、大末建設「<1>ないし(最終回)」として大末建設の記載の後に番号が付記された分が原告の振り出した支払手形についての記帳ということになるはずであるが、本件手形受払帳の六月及び七月の箇所には、それぞれ「大末建設 五〇〇〇〇〇〇」の記載の横に原告が大末建設に対して振り出した各月末日に支払期日とする金額五〇〇万円の約束手形の手形番号が記載されている。しかし、これは、原告が、六月及び七月の箇所では、「大末建設<6>」、「大末建設(最終回)」として番号の付記されたものとそれが付記されていないものとのうち、どちらが支払手形の記載でどちらが大末建設からの入金予定分の記載であるかという区別まで特に意識せずたまたま右のように記載したに過ぎないとも考えられるから、右手形番号の記載は必ずしも前記推認を阻げる事情になるわけではない。)これらの事情及び右(一)記載の各証拠からすると、原告は、本件保証小切手の他現金一〇〇〇万円をも併せて大末建設に持参して支払い、右一〇〇〇万円に対応するものとして、昭和五〇年六月及び同年七月末に同社から現金で各五〇〇万円の支払を受けたと認めるのが相当である。

3  被告の右2の点に関する主張について

(一) 被告は、原告が一〇〇〇万円もの現金を手元に置いていてそれを大末建設に持参したというようなことはありえない旨主張するが、原告は査察部の強制調査を受けた際にも六〇〇万円位の現金を有していたこと(甲四四号証及び原告本人尋問の結果)、原告の事業の規模、内容(三億円余りで病院を建設してその経営に当たり、昭和四九年には五〇〇〇万円以上、昭和五〇年には一億円以上の事業所得を上げている。)からすると、一〇〇〇万円程度の手持ち現金を有していたとしても決して不自然ではないと考えられる。

また、右一〇〇〇万円についての大末建設の領収書が提出されていないが、二〇〇〇万円の本件保証小切手による支払分についても領収書は発見されておらず、これらは強制調査の過程でいずれかに紛失された可能性がある。従って、右一〇〇〇万円についての領収書がないことは、前記2の認定を左右するものではない。

(二) 原告から大末建設への本件保証小切手による支払分については、大末建設の会計帳簿に預り金として計上されているが(乙九号証)、現金での一〇〇〇万円の支払分に関しては、大末建設の帳簿への記載が確認されていないし、大末建設から原告への昭和五〇年六月及び同年七月末日の現金による各五〇〇万円の支払に関しても、これを裏付ける領収書は発見されるに至っていない。しかし、現金一〇〇〇万円のやりとりがなされたとすると、大末建設では、これについて二〇〇〇万円の本件保証は小切手による支払分とは別個の特殊な経理処理を行った可能性も否定できないから、右の事情も必ずしも前記2の認定を阻げるものとはいえない。

4  以上によれば、本件約束手形のうち三〇〇〇万円分全額の支払に関して手形のジャンプが仮装されたと認められるから、昭和四九年期末及び昭和五〇年期首には、原告の大末建設に対する昭和五〇年一月から同年七月まで毎月末日を支払期日とする金額合計三〇〇〇万円の七通の支払手形を負債として計上する以上、本件保証小切手による二〇〇〇万円の支払分のみならず、一〇〇〇万円についても仮払金として資産に計上すべきことになる。

二  争点2(岡本弘子に対する事業主貸)について

甲四五、五七号証、乙八号証、一〇ないし一二号証によれば、原告名義の本件泉州銀行普通預金口座に昭和四九年七月一五日堺市信用金庫宛の小切手で二〇〇万円が入金され、同月一七日一〇〇万円が出金されたこと、右普通預金口座は、岡本弘子(同女は、当時原告との間に二人の子を儲けて内縁関係にあった女性で、後日原告と結婚して村田弘子となっている。)が同女の生活費等を入金して管理するために開設したものであることが認められる。しかしながら、また右各証拠によれば、岡本弘子が昭和四九年当時原告から受けていた生活費は、一か月二〇万円位で、それを二、三か月に一度の割合で三〇万円ないし五〇万円位まとめて渡して貰っていたというのであり、二〇〇万円というのは同女が当時一度に生活費として渡して貰う金員としては多すぎるし、一〇〇万円というのも同女が当時一度に生活費として預金口座から引き出す金員としては多すぎること、原告と同女の親密な関係からして、同女が原告から一時事業用の資金を預って自己の管理していた預金口座で保管することも十分ありえたと思われ、現に同女が原告から預かり自己の管理する預金口座に一時入金していたと思われる一〇〇万円単位の金員の出入りが他にもいくつか見られることが認められる。右のような事情及び原告本人尋問の結果を総合すれば、右一〇〇万円は原告の事業用資金に充てるために出金された可能性が高いと考えられる。従って、右一〇〇万円を原告の岡本弘子に対する事業主貸として資産計上することはできないというべきである。

三  争点3(加藤俊雄に対する事業主貸)について

1  甲一ないし七号証の各一ないし三、第八号証の一、二、第九ないし一七号証の各一ないし三、第一八ないし二四号証の各一、二、第二五号証の一ないし三、第二六、二七号証の各一、二、第二八号証の一ないし三、第二九ないし三一号証の各一、二、第三九ないし四一号証の各一ないし三、五八、五九号証、一〇九号証の一ないし三及び原告本人尋問の結果によれば、原告は、概ね、加藤俊雄から税務署職員に対する歳暮、接待費、餞別等として税務対策上必要だと言われて、別表25の一ないし三記載のとおり同人に手形ないし小切手を交付して、同表記載のとおりの金員(「加藤経費」)の支払をしたことが認められる。

2  加藤経費のうち、原告が必要経費であると主張するもの以外に、その他の理由で資産計上されるべきでないと主張するものについて検討する。

(一) 別表25の一の番号7の小切手による三一万円の支払について、原告は、加藤俊雄に貸し付けたがその後返済されなかったものであるから資産計上されるいわれはないと主張し、また原告本人は加藤俊雄に対する貸付金であると供述する。しかし、原告の右供述に確たる根拠があるとは見受けられないし、右小切手の控え(小切手を切った後の小切手帳の耳。甲七号証の二。)には、摘要欄に「雑損」と記載されていることからして、右小切手の支払が返済を予定した貸付としてなされたものとは認め難い(なお、たとえ加藤俊雄に対する貸付金であるとしても、資産に計上されるべきであることに変わりはない。)。従って、原告の右主張は失当である。

(二) 別表25の一の番号12、13について、原告は、加藤俊雄に手形割引を依頼して手形を交付し、割引金として、番号12については九一万円、番号13ついては八九万円をそれぞれ取得したと主張し、原告本人はその旨供述する。しかし、原告本人の右供述は、具体的な記憶に基づくものではなく、交付したとされる各手形の控え(甲一二号証の二、一三号証の二)の備考欄にそれぞれ「割って九一万」「割って八九万」との記載があることを根拠とするのであるが、右記載のみから原告が加藤俊雄に手形を割り引いてもらって割引金の交付を受けたとまで認めることは困難である。従って、原告の右供述も採用し難く、他に右事実を認めるに足る証拠はない。

(三) 甲二五号証の一ないし三、第二六号証の一、二、第五八、六〇号証及び原告本人尋問の結果によれば、別表25の二の番号14、15の合計金一五〇万円は、南堺病院の会計課長として経理を担当していた加藤俊雄の兄の加藤幸雄に対する昭和四九年の賞与として、帳簿外で支払われたものであることが認められる。右金額は、加藤幸雄に対する賞与の支払としては多すぎ他の加藤経費と同じ性質の支出なのではないかとの疑問もあるが、甲五八、六〇号証によれば、同人には、昭和四八年にもやはり手形ないし小切手により帳簿外で約一三〇万円の賞与が支払われていると認められるから、一五〇万円というのは同人に対する賞与の支払として不当に高額であるとも一概にいえない。従って、右の支払は必要経費と認められるべきものであるから、これを加藤俊雄に対する事業主貸として資産に計上することはできない。

(四) 別表25の三の番号7の小切手による二〇〇万円の支払のうち一〇〇万円について、原告は後日加藤俊雄から返還を受けたと主張し、甲一〇一号証(原告作成の報告書)にはその旨の記載があり、本件手形受払帳の昭和五〇年六月の箇所には、当該小切手について、「内一〇〇万のみ返す」との記載がある。しかし、本件手形受払帳の右記載の意味は必ずしも明瞭とはいえず、右各証拠のみから右二〇〇万円のうち一〇〇万円につき加藤俊雄から返還を受けたとまで認めることは困難であり、他に右事実を認めるに足る証拠はない。

3  右2記載のもの以外の加藤経費について、原告は、加藤俊雄が南堺病院の医事課職員として税務の申告、税務当局との交渉、税務調査の立会い等をしていたことに対する経費、報酬及び謝礼として支払われたものであるから、すべて必要経費であって、昭和四八年ないし五〇年分の資産に計上されるべきものではない旨主張する。しかし、前記1掲記の各証拠によれば、原告は旧くから、税経新聞社を経営する加藤俊雄に税務に関する相談をし、税務署との折衝をしてもらったりしてきたこと、同人は税理士の資格を有していたわけではないが、税務署の職員に対して顔が利くかのように振る舞っていたので、やがて原告は、同人を各目上南堺病院の職員として扱い、給与を支払って税務の申告、税務当局との交渉、税務調査の立会い等をしてもらうようになり、昭和四八年ないし五〇年当時の同人の給与は、一か月一二万円ないし一五万円であったこと、しかし、同人はせいぜい一週間に二、三回病院に来るだけで、病院には同人の事務机もなく、同人が前記事務以外に病院の事務を行うようなことはなかったこと、原告は同人に対する支払とは別に顧問税理士に対しても、一か月五万円の顧問料を支払っていたこと、以上の事実が認められる。

そうしてみると、加藤経費は、加藤俊雄に対し給与以外に更に同人の行う税務申告等の事務に対する対価として支払われたものとしては余りに高額であり、それにもかかわらず原告が同人に長期間に亘ってそのように多額の経費(前記2(三)に認定したものを除く。)の支払を続けたのは、原告が多額の脱税を行うなどして、その経理状況を同人に完全に把握され弱みを握られていたので、自らの所得や資産内容あるいは税務処理の状況等を税務当局に知られることをおそれ、やむを得ず同人の要求を飲み支払うことを余儀なくされたためであると推認される。また、加藤俊雄が加藤経費のうちから病院の事業経営に必要な用途に金員の支出をしたと認めるに足る証拠はない。

4  従って、加藤経費のうち前記2(三)に認定したものは必要経費として認められるべきであるが、それ以外は、原告の事業遂行上必要な経費であったとは認め難いから、必要経費として収入から控除されるべき性質のものでなく、資産に計上されるのが相当である。

四  争点4(村田梅子からの借入金)について

甲五六号証及び原告本人尋問の結果によれば、原告の妻村田梅子は、昭和四九年三月二三日、堺市信用金庫から同女の旧姓である石村梅子名義の五〇〇万円の定期預金を担保にして五〇〇万円を借り入れ、同年四月二日、右定期預金を解約してその返済をしたこと、他方原告は、同月四日、同信用金庫に一〇〇〇万円の定期預金をしたことが認められる。そして、原告は、堺市信用金庫から求められていた歩積預金にするため、昭和四九年三月下旬ないし四月上旬頃、村田梅子から五〇〇万円を借り入れて、右定期預金として預け入れた一〇〇〇万円の一部に充てたと主張し、原告本人はその旨供述する。更に、原告本人は、村田梅子から右五〇〇万円は第三者から借りて用立てたと聞かされていたので、同女が昭和五〇年一〇月に死亡した後現在に至るまで、五〇〇万円(原告の供述によれば、それ以外にも同女から五〇〇万円を借りていたので、その分及び金利等も含めて合計一一〇〇万円。)を定期預金として預け入れたまま保管していると供述するところ、甲五六、一〇三、一〇四号証は右供述を裏付けるに足るものと考えられる。従って、以上のような点からすると、原告の前記供述は措信するに足るものといえるから、昭和四九年期末以降の負債勘定には、村田梅子に対する五〇〇万円の借入金が負債として計上されるべきである。

五  結論

以上によれば、原告の本件各年の所得金額は、昭和四九年分については、前記一の仮払金一〇〇〇万円が期末の資産に計上されるので増加する一方、前記二の岡本弘子に対する事業主貸一〇〇万円及び前記三2(三)の加藤俊雄に対する事業主貸一五〇万円が期末の資産から控除され、前記四の村田梅子に対する借入金五〇〇万円が期末の負債に計上される結果、その分減少することになるので、差引二五〇万円増加する。また、昭和五〇年分については、仮払金が一〇〇〇万円減少し、前記四の村田梅子に対する借入金五〇〇万円の分だけ減るので、合計一五〇〇万円減少することになる。

よって、原告の本訴請求は、主文の限度で理由があるので認容し、その余は理由がないので棄却し、訴訟費用の負担について行政事件訴訟法七条、民訴法八九条、九二条本文を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 下村浩藏 裁判官 清野正彦 裁判官山垣清正は転官のため署名押印できない。裁判長裁判官 下村浩藏)

別表25

事業主貸(加藤俊雄関係)一

<省略>

事業主貸(加藤俊雄関係)二

<省略>

事業主貸(加藤俊雄関係)三

<省略>

別表1

課税の経緯

<省略>

別表2

事業所得の金額計算書(資産負債増減表)

<省略>

別表3

譲渡所得の明細書

<省略>

別表4

雑所得の明細書

<省略>

別表5

現金の内訳

<省略>

別表6

現金の内訳

<省略>

別表7

未収入金の内訳

<省略>

別表8

仮払金の内訳

<省略>

別表9

貸付金の内訳

<省略>

別表10

有価証券の内訳

<省略>

別表11

事業主貸の内訳

<省略>

別表12

土地の内訳

<省略>

別表13

建物の内訳

<省略>

別表14

建物附属設備の内訳

<省略>

別表15

車両の内訳

<省略>

別表16

器具備品の内訳

<省略>

別表17

保証金の内訳

<省略>

別表18

前払費用の内訳

<省略>

別表19

繰延資産の内訳

<省略>

別表20

買掛金の内訳

<省略>

別表21

未払金の内訳

<省略>

別表22

支払手形の内訳

<省略>

別表23

借入金の内訳

<省略>

別表24

事業主貸の内訳

<省略>

更正決定

当事者の表示 別紙当事者目録のとおり

右当事者間の平成三年(行ウ)第三二、三三、三四号所得税更正処分等取消請求事件につき、平成七年一二月二〇日当裁判所がなした判決に明白な誤謬があるから、職権により、次のとおり決定する。

主文

右判決の主文第一項中「一億〇四八八万七三四五円」とあるのを「一億〇九八八万七三四五円」と更正し、同判決の二六丁表一〇行目「し、」から同丁表一二行目「減少」までを削除する。

大阪地方裁判所民事第二部

裁判長裁判官 下村浩藏

裁判官 清野正彦

裁判官山垣清正は転官のため署名押印できない。

裁判長裁判官 下村浩藏

当事者目録

大阪府堺市高倉台三丁一八番二号

原告 村田政勇

右訴訟代理人弁護士 大槻龍馬

同 仁藤一

同 真鍋能久

同 西尾剛

大阪府堺市南瓦町二-二〇

被告 堺税務署長 高橋巌

右指定代理人 本多重夫

同 山本進弌

同 松田光弘

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例